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東京大空襲とは

 太平洋戦争の末期、1945年(昭和20年)3月9日の深夜、東京の下町一帯は天をも焦がす業火に包まれました。
 この日午後5時頃、マリアナ群島の米軍基地を発進したB29戦略爆撃機325機は、13,000発のナパーム焼夷弾を抱え、東京に向かいました。その狙いは、木と紙でできた家屋が密集する旧浅草、本所、日本橋を含む東部地区を焼夷弾攻撃で焦土と化すことだったのです。10日午前0時7分から午前3時まで続けられたこの大空襲で、10万人余りの死者、11万人余りの負傷者、そして家屋の焼失約100万戸という惨劇が生じました。広島、長崎の原爆による被害にも匹敵するものです。
 空襲は、軍事施設ではなく下町の人家密集地域を狙ったものでした。無数の市民が逃げ場を失い、炎に包まれて焼死し、身元不明のまま葬られました。まさに大量虐殺です。犠牲者の遺族はいまだに花を手向ける墓も持てず、毎年3月10日に墨田川べりを訪れ、当時をしのんで冥福を祈っています。
 この悲劇を2度と繰り返してはならないとの思いを込めて、東京大空襲資料展を毎年3月10日前後に開いてきました。

© 2016 by 東京大空襲資料展実行委員会

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